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architecture

Lecture by Toyo Ito~"The housing of 21 century"

赤坂御所前の草月流(勅使河原本家)草月会館にて、ギャラリー・間20周年の節目にギャラリー・間「21世紀の住宅論」と題した4回にわたる講演会シリーズが催された。
(第一回 磯崎新 第2回 安藤忠雄 第3回 藤森照信 そして第4回の伊東豊雄)

残念ながらこの講演シリーズを知ったのは第4回講演会の2日前で、外してはならない磯崎新の講演を逃してしまい最後の伊東豊雄の講演しか拝聴することができなかったのだけれど、この講演の間中、磯崎が講演タイトルとした「住宅は建築か」という問いが頭から離れず、なにかモヤモヤとした不満を感じながら講演を聞いていた。


伊東は講演を、SANAAの西沢立衛の最近の住宅作品「森山邸」の紹介で始めた。実はこの住宅に関しては、そこにすむ一人の女性(妹島和世事務所の元所員とのこと)に伊東がインタビューし、そのビデオを流す事によって講演を締めくくる事にもなるのだが、この作品を取り上げたことに、この「住宅」というものに関する講演のテーマと、さらに伊東の「住宅設計」に対するある種の距離感が感じられるのでそれについて考えてみたい。

............................................


講演自体の流れは、基本的に伊東本人の住宅作品を紹介するもので、個人的にはそのパーソナルな扱い方に伊東らしさを感じた。特に彼の最初の作品である「中野本町の家」には特別の感情と思い入れが感じられる。

「中野本町の家」は、夫を病気で若くに亡くしたという伊東の姉とその2人の小さな娘の為に設計した1976年の作品だが、そこに込められた、「都市」と「そこに住まう家族」との関係を見いだそうとする伊東の取り組みは、外壁のようなU字のボリュームが周辺には開口を持たず内に閉じながら、U字によって取り込まれた中庭の空間には解放され、空へと開くという、小さな家族が都会に暮らすための小さな意思表示と、そのナイーブさを同時に体現したような姿にあらわれている。もちろん、コンセプト/モチーフとして始まった「コの字ーU字」が、デザインを主導しながらしだいに背景にある「物語性」を離れて、「建築」という独立した別のステージで成立していく側面をも伊東は経験した。そうして完成した「都市住宅」と「住人」の間に新たに生まれていった距離感が、実際に住まう者にとって次第に違和感や苦痛となっていった事が、家族の証言によって明らかにもされ、20年の歴史の後に解体されていった。
「中野本町の家」後藤暢子/幸子/文子著
その様は、人と人との関係、また住宅に人の住まうことの、実は濃く、時にはドロドロとした姿を表してもいる。


そうしたパーソナルな都市への視線、また身内という近い人との関係の中から生まれた自身初期の作品の紹介の前に、伊東が西沢の「森山邸」を引き合いに出した理由には、この森山邸に垣間見えるそうした距離感への問題を感覚的に捉えているからなのではないかと思われる。
西沢による森山邸は、閑静なごく標準的な都市近郊の住宅街にある。その中に白く直線的なボリュームの箱がいくつか建ち並び、ある意味それだけで現状の周辺環境とは異質なものとなっている。(乱暴な言い方をすれば、金沢21世紀美術館の外周のガラス壁と蓋となっている天蓋を取り払い、周囲の芝生のクッション空間が存在しない状況)視線や動線はこの敷地内をコントロールされた範囲内で通り抜けることは出来るようになっていて、それによって区切られた小さなモジュールのような箱がそれぞれの機能を持ち、(共同浴室とか)また6人の住人が生活できる単位となって集合住宅の形をとっている。

ここでポイントとなるのは、この白い壁が実は鉄板であり、実際には厚みが薄く、また鉄板の外壁というコンセプトとその平面性が視覚的、感覚的にも薄い皮膜/スキンとしての認識を与える、という点ではないかと思うのだ。加えて、白い平面的な壁には大きなガラス開口がとられていて、透明なガラスを通して内部が見えている。垣間見えるというレベルではなく、開けっぴろげにマル見えと言っても良い。

--伊東は現代の都市生活が新たな形をとり始めたことが「目に見える形」として現れ始めたのが、「サランラップの透明フィルムに包まれたコンビニ野菜」からではないかと語った。都市生活者にとって、野菜とは畑で穫れる土のついた自然の姿の野菜ではなく、きれいに洗浄され、規格に沿った大きさと形に選別され、そして透明なフィルムにくるまれパッケージされたものを指すようになった。サランラップにくるまれる事で都市的プロダクトとなり、その存在は違った価値を持つようになる。
この時、この透明なフィルムは、その透過性によって中にくるまれた野菜の姿を目に見えるようにし、またその薄さによって野菜という「物」と消費者との物理的な距離を限りなく近づけるかのようだ。しかし、その透明フィルムを通して見える「物=野菜」は、もはや以前の野菜からは違った別種の価値を持ち、それによって消費者と物=野菜の距離は異なった物に変化した。透明フィルムは、その物理的な特性とは逆に、人と物との関係が変化し、距離を持ったことを示す、ある種のメディア、あるいは境界といったものではないかと、伊東は述べようとしていると思われた。

西沢による森山邸の「薄さ」と「透明」というコンセプトは、西沢によれば物理的にも感覚的にも周辺環境への距離感をなくすため、またコミュニティ/共同体を潤滑する近さを生み出すためと説明されている。しかし、私にとってこの建物の実態は、実はあのコンビニ野菜をくるむ「サランラップ」のように薄く透明でありながら、何か絶対的な境界を生み出す膜/スキンのように感じられてならないのだ。伊東はここを訪れた時、「人が建物の影やガラス開口にすっと現れ、すっと消える」感じがしたと語った。大きく透明なガラス開口からまるで開けっぴろげに見えるかのような生活風景は、この透明な薄い膜を通り抜けようとはせず、また実態としての生活の存在を主張表明しようとせずに、何かカタログ的なピクチャレスクのシーンと型を映すかのように、距離をとって、内に閉じている。そしてそのような曖昧さは結果としてでなく、シンセティックな自動生成のように、前提も帰結もないところにただ現出している。そうした光景が、現代的な若い世代の人間関係のあり方や方法に即しているのではないか、またコミュニティや共同生活体の姿が変化したのだ、とは言っても、その姿に従来の素朴で純粋なコミュニティの姿を延長線上に見ようとし、重ね合わせようとする西沢の(あるいはその他建築家ーー講演を訪れていた、展覧会の監修を務めた建築家千葉学は森山邸にコミュニティの新たな形と可能性を見る、と西沢を強く(?)肯定していた)住宅論は、こじつけられた、あまりにもナイーブで閉じた世界観と感じる。「自分はここには住めない」と伊東は述べ、それを「多分世代的な差なのだろう」と語ったが、その感覚は実は多くの、若い世代をも含めた一般人の感覚ではないかと考えられないか。

インタビューに答える若い女性はくったくなくしゃべり、笑い、そして彼女の部屋は本や雑貨などで埋められ、生活感がぷんぷんする空間に変貌していた。それは、エネルギーだ。内に閉じるようなものではない。伊東は、「彼女の声が外まで聞こえてくる住宅」を求めたいと語った。開いた空間。それはそんなに簡単なものではない。安易に語りすぎることを、伊東は直感的に感じているのではないだろうか。
西沢、あるいは妹島の建築は、そうしたエネルギーを否定はせずとも想定していない。結果としてそれを受容できる空間になったとしても、都市と人のエネルギーを翻訳し、周辺環境に透過し、または隠蔽するという、建築の肉体存在を介在して都市と人との、人と空間との関係性を反映する建築という考えを、始めから欠落させている。(結果として出来上がったSANAAプロダクトとしての建物のいくつかが、そう機能することはあっても)それは意図的なものか?(というより、本当に、ポーンと、「ない」のだ)もしそうならコミュニティを、周辺環境との調和を口にする事に矛盾があると言えないか? 彼らが求めるものが、結果として膜と境界で空間と人を閉じ、均質化の彼方に生活イメージを薄め、生を主張するエネルギーを剥奪していくアーティフィシャルな装置であるならば、それは東京という複雑な都市空間において、その帰結として、自閉した、異質の、さらに言えば「異物」の空間、そしてそれを表象するマテリアルとなっていく。成立段階とそのプロセスにおいていかに中性化/中立化を求めようとも、内向化していることをいかに表層的な透明性で被い打ち消そうとしているとしても、猥雑な都市空間に異物を挿入する事はそれ自体ある種の暴力であることを認める責任を持たねばならない。建築は、本質的にそうした暴力性を持っている。ポストモダン建築にはそれを自ら認めていた潔さが、少なくともあった。それが宙づりにされたままの、無邪気という無責任さ。

森山邸がモダニズムの言語を用いてそのユートピア的イメージをもオプティミスティックに語りながら、今、現在の東京に投げ込まれることの意味が、この昨今のプロダクト的建築ブームの中、もっと問われなければならない。至高の閉じられた空間、薄い皮膜の中にひっそりと身を置く場所などにはなり得ぬということーー東京という街は、そんな白く、無機質で、ミニマルだと主張するものさえ数えきれないほどに飲み込み、それを浸食し、変容し、並列化し、あるいは自らの増殖のプログラムとしていった。そんな牙を剥く強大な力ーー「ジャンクスペース」を作り出していった責任を、都市建築はらんでいるということ、そのなかで建築をするということの意味を、問わなければならない。<住宅には--人が--住むのだ--それは--そんなに--簡単な--こと--なのか>

伊東本人は、あまり住宅を手がけて来てはいない。そして最近の公団とのプロジェクト(公団がCODANなどと横文字化してプロジェクトを有名建築家数人に依頼し、共同住宅を建ち上げた)を通じて、住宅、とくに共同住宅のストーリーと未来図を描く事の難しさと向き合うことになったと述べ、今後こうしたプロジェクトに距離を置くことを示唆していた。伊東の云わんとした「住宅論」ーーまた磯崎が掲げた「住宅は建築か」という問いは、建築という大文字のプロセスの中に、人、そして生活といったものを本当の意味で埋め込んでいく難しさを問うているのではないかと思われる。都市の姿を、そしてそこに生きる人々の姿と生活を住宅という形に反映する事が建築の目的なのか?それとも、そうする事が今までの都市をいびつに歪め、ジャンクスペースを増殖させて来たのか?あるいは、都市本来のエネルギーはそもそもジャンクスペースを生み出すものであり、その中にそれを超越したかのように透明な建築を埋め込む事の逆に破壊的な意味をこそ、本来都市建築は問うのではないのか?

伊東が感覚に捉えている住宅(と住宅論)に対する「違和感」(本人は、「新しいものが出てくる<可能性>かもしれない」と和らげたが)の出所を考えるにつれ、「住宅論」をストレートに語る時代では、もはやないと感じざるをえない。
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